私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化
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能力とは力の一種のように思われ、力を基盤にしたメタファーに基づいている
個体に内在しており安定して作用すると考えられるが…
人間の認知には文脈依存性がある
同じような論理的思考が試される問題でも文脈により正答できない場合がある
構造的に同じ問題に対して、複数の異なる認知リソースを使っている
論理学的リソース、経験に基づくリソース、行為・その前提条件に関わる一般化されたリソースなど
なので人の知性には揺らぎがある
それが発現する環境から切り離して考えることは適当ではない
構成主義。知識はモノではなくコト、伝えられない、構築されるものである
有用な知識とは、一般性・関係性・場面応答性がある
身体を介したさまざまな感覚経験によりシミュレートできこれらを備えた知識として構築できる
知識は主体によって構成されなければなない
何十ものステップに刻まれる
状況・環境のリソースを揃えることで負荷のかかる認知作業を外部化することもできる(オフロード off-load)
環境や状況リソースが存在しなかったり、不適切な認知的リソースを誘引するような情報がある場合、我々は認知や行為を誤る。これが文脈依存性の背後にある
上達、練習による認知的変化
能力同様スキルも観察可能な言葉ではない
練習を通して得られたスキルは素早く正確に発揮されるかで言うとそうではない
作業上達のための練習所要時間はベキ乗則にほぼ従う(最初の数回での上達は著しい後半になるほど練習回数を重ねないと上達しない)
練習の効果はマクロ化、並列化、環境再構築などによって上がっていく
一方でスランプ
ベキ乗則の直線から上で連を成すところ
停滞期=プラトーと呼ぶ
さらに結果が悪くなるのが後退
その後ブレイクスルーが起きる
https://gyazo.com/34993ca83aa672acfd348cc7e6d3e266
例えば新しい手法を取り入れると適合性や接続性の問題からうまくいかなくなるなど
操作方法と環境との相性に揺らぎが生まれるがそれをバネにして新しいスキルが創発する
育つ、発達による認知的変化
発達は加齢による不可逆的な変化、前述の練習などは発達とよばない
学習指導要領などにも『発達の段階に応じて』など記載がある
背景には発達段階論
重複波モデルで考えると、認知的リソースには強弱があり経験により支配的だった認知リソースの利用が減る一方、別のリソースの強度が高まる
複数の認知リソースの存在により同時並列活性化が起こり揺らぎが生まれる
数は数えられるのにおなじきの並んだ長さだけで多さを判断する幼児の例
揺らぎを持ったグループの方が成績が良いという研究結果
発達段階論=揺らぎを平準化した平均値信仰が強い
ひらめく、洞察による認知的変化
https://gyazo.com/15ae6e1a2c47d1206267b74e3f21b273
周りにあふれる膨大な情報量をいちいち判断していくのは身動きが取れなくなる、そのため人間は認知に『制約』をかける(思い込みと言ってもいい)
制約があることで人間は助けられているが、ひらめきには逆に働く。制約が排除する中に解がある
失敗によって制約が弱められて制約が緩和されていく
失敗によって多様性が得られる
試行錯誤によってしか制約緩和は出来ないのだが人によってうまくできたりできなかったりする
多様性によるバリエーション(ヒント)に対して評価をうまくできるかにかかってる
準備期で学習(多様性やその評価など)は進んでいるがひらめきは突然訪れる、つまり意識はボンクラで気付けない
環境、行為、感情などが試行と学習に作用している
環境をうまく利用しうまく活用することが(オフロード)自分の現状を捉えられる->失敗が続いている現状から異なるアプローチをする->多様性が生まれ、洞察を得やすくなる
教育をどう考えるか
素朴教育論ではコト的知識生成の妨げになる
文科省のさまざまな規格化は端的にいってこの現れ
教育や学習場面を想像したとき、問題が出され、正解があり、正解を知る人がいる(先生)という構図がある
認知科学の観点では
問題というのは望ましい状態と現状が一致していないことを指す。そして問題を解決するというのは、望ましい状態と現状が一致した状態のことを指す。<snip>現状に何らかの操作を加える<snip>問題は単一の操作で解決できることは稀なので、複数の操作をうまく順序立てて行わなければならない。<snip>解決過程の各時点でいろいろな操作の中から適切なものを選び<snip>うまくやれば解決できる
クーリッシュの例、市場の落ち込み・アイスの売り上げ減少を問題設定しているわけではない。持ち運びやく、飲めるアイスというゴール設定にした
問題をより具体的で、操作可能な問題の形に変形しなければならない
素晴らしいところは「問題を作り出している=創発させているという点」
基礎から応用へという学校で通用する前提は問題解決の場面では成り立たないことの方が多い
全て頭の中でという素朴理論にもノー
紙ベースのテストではそもそも必要な環境からのリソースを受け取れない
知性の重要なパートナーである環境を剥奪することが前提となっている<snip>環境のサポートがない状態でうまく働く知性が、サポートのある場面で必要ないこともあるだろうし、サポートなし環境に備えた努力(テストのための一夜漬けの勉強)はさしたる意味がないことも多い
教えればできるという素朴理論
学習場面で用いた例題と似ていれば転移が起こりやすいが似ていなければ転移は生じない
何度も例題を解けば転移の可能性は高まる
つまり人間の知識・学習の転移は極めて限定的である
スモールステップへの懐疑
熟練工の身体にセンサーをつけて何台ものカメラで録画する、膨大なデータから深層学習で特徴量を収集する、への批判
素晴らしい能力を持った人がXができる、Yができる、Zかできるというのは全部兆候である。兆候は原因ではない。兆候を真似させても原因が成立するとは限らない
人間の知識について再考するときの私の出発点は、我々は語ることができることより多くのことを知ることができる、という事実である
細分化された要素目標の達成は、元々の目標の達成の「兆候」、「近接項」に過ぎない。世界にはそれらの生み出す原因系=遠隔項が存在している。遠隔項内の各要素は学習者にある種の兆しを提供するが、それらはその中の各要素の複雑な相互依存、因果関係のネットワークの産物である。これらを無視して兆しの習得に専心した場合には<snip>兆候が点在するだけとなり、真の理解とはならない<snip>遠隔項の存在を知らずに近接項に特化した学習が行われる場合には、結果としてかたちだけの結果の模倣が生み出される。
伝統芸能の継承から徒弟制
学習者自ら習得のプロセスで目標を生成的に拡大し豊かにする、自らが生成していく目標に応じて段階を設定している
創発的な学習
模倣にも「結果マネ」と「原因マネ」がある
結果マネは近接項レベルで同じようにやることが目的化している「形の真似」
原因マネは生み出される原因=遠隔項を真似る「型の真似」
宮台真司曰わく、感染動機に基づく学習は学習それ自体が喜びになるという内発的な動機に基づく学習を生み出す